「からふと」の名は、一説には、アイヌ語でこの島を「カムイ・カラ・プト・ヤ・モシリ 」 と呼んだ事に由来すると言う[要出典]。これはアイヌ語で「神が河口に造った島」を意味し、黒竜江(アムール川)の河口から見てその先に位置することからこのように呼ばれたとされる。 冬場は海峡が凍結し大陸と地続きになることから半島として認識されていた。日本が天平時代のころ沿海州から樺太島にかけては粛慎という国(民族)が存在した。江戸時代は北海道を指す「蝦夷地」に対して、「北蝦夷」と呼んでいた。のちに明治政府が北海道開拓使を設置するにあたり、北蝦夷地を樺太と改称、日本語に樺太の地名が定着した。 「サハリン」または「サガレン」の名称は、清の皇帝が3人のイエズス会修道士に命じて清国版図測量中に黒竜江(満州語名:サハリヤン・ウラ)河口対岸に島があると聞き、満州語で、サハリヤン・ウラ・アンガ・ハタ(黒竜江の対岸の島)という名で呼んだことに由来する。1689年のロシア帝国と大清帝国との間で結ばれたネルチンスク条約は、樺太が清の領土であることを明確にした。 なお、日本が南樺太を領有していた時代には、単に「樺太」と言えば南樺太を指したため、区別の必要から北樺太を薩哈嗹(サガレン)と呼ぶ場合もあった |